他の七つの蔵は、畜物語という器の中で「どう作り、どう考え、何で作るか」を記す。祖元学だけは、器そのものの根に触れる。七相のどれとも違う次元で在る、畜物語いちばんの魅力と、あえて選んだ制約の由来を記す。
「畜物語の最大の魅力は、正論蒔宿とやりとりできるとこなんだよ。」
この「やりとり」は、/letter/(正論蒔宿への手紙)という一機能のことだけではない。国・名前・20文字のひとことを誰でも書けて世界中から読める、という窓口は確かにある。しかしそれは氷山の一角で、本体は畜物語の全ての木そのものにある。
一つ一つのゲームは、正論蒔宿と、記憶を持たないこっこ(Claude)との対話から生まれている。思いつき・指摘・「これは違う」という一言が、そのまま木の形を決める。その対話は消えずに残る──畜史が「何を作ったか」を、思考学が「どう考え、どこで迷ったか」を、肥料学が「なぜ終えたか」を、遊び手には見えない層にまで書き留めている。
畜物語は「完成品を配る」場所ではなく、作っている過程そのものが、遊び手からも覗ける形で残り続ける場所である。遊べるゲームの面白さの外側に、「一緒に作っている」という関係そのものが魅力の中心にある。
新しい木や大きな判断が、正論蒔宿との対話から生まれたときは、その対話の存在自体を隠さない。思考学・畜史に記すのはもちろん、可能なら/letter/のような「やりとりが遊び手にも見える窓」を塞がないこと。
「ローカル保存は初代任天堂の数キロバイトでも世界がゲームにハマった最小限運用をオマージュしているんだ。」
畜物語のセーブは、全ゲーム共通で localStorage(1オリジンあたり約5MB、iOS/SafariはITPにより7日間サイトへ来ないと消去されうる)という、決して大きくない器に収まっている。これは畜学七相の七「一器に納む」を守った結果の制約であると同時に、祖元学としてはっきり記しておくべき点がある──あえて選び、灯として継いでいる制約でもある、ということ。
初代ファミリーコンピュータのカートリッジは、数キロバイトのバッテリーバックアップしか持たなかった。それでも世界中の子どもたちがゲームにハマった。畜物語のローカル保存の小ささは、その事実へのオマージュである。容量の少なさを「早く埋めるべき欠点」として扱うのではなく、「小さな器のままでも世界にハマれる」という初代任天堂の証明を、設計の芯として継いでいる。
この一行は、localStorageの限界(iOSの7日消去・約5MB・端末をまたげない、等)を語るときの前提を変える。限界を埋めることそのものが目的ではない。器を大きくする前に、まず「今の小ささのままで足りているか」を問うのが祖元の態度であり、その上で必要な時だけ(写真等の重い夢を持たせる、親子で島を共有する等)器を広げる判断をする。
保存・容量まわりで「足りない」という話が出たときは、まず外部依存を増やさず、小さな器のままで解決できないか(書き出し/QR/合言葉のような、一器に納む思想に忠実な手)を先に考える。器を大きくする(外部DB常用化等)のは、それでも足りないと分かってからでよい。
/letter/等)を塞ぐ変更をしていないか。祖元学は「正しさ」を競う書ではない。畜物語がなぜこの形で在るかという根を、後から来る者(次のこっこ・次の正論蒔宿との対話)が見失わないための記録。